モータースポーツ塾


「空力の話」
第2回 魔法の力・ダウンフォース

前回は空気抵抗の話をしました。これはみなさんも日常生活で経験のあることでしょうから、比較的わかりやすかったと思います。風の強い日は歩きにくいとか、ね。今回はそれからもうちょっと踏み込んでみます。人間の生活ではほとんど直面することのないモノですが、自動車、ましてやレーシングカーにとっては避けて通れない道です。ダウンフォース。直訳すれば“下向きの力”。高速で走るマシンに下向きの力を与え、地面に押しつけようというもの。そうすることでタイヤのグリップを増やし、高速走行を可能にしようというものです。

まずは歴史からおさらいしましょう。前回、スプーンを用意してくれと書きましたが、それを使った実験はのちほど。

実はダウンフォースという考えかた、さほど歴史の古いものではありません。1960年代のなかばに登場した発想で、それ以前は、とにかく空気抵抗を減らすことがベストとされてきました。そんなころ、ひとりの男がアメリカで輝き始めます。ジム・ホール。ドライバーであり自らチーム“チャパラル・カーズ”を主宰する彼は、総プラスチック製モノコック・シャシー、GM社製オートマチック・ミッションなどなど、それまで見たことがない斬新なアイデアを満載して、人々を唸らせました。そのホールが1966年に送り出した2座席 レーシングスポーツカー“チャパラル2E”こそが、ダウンフォースという考えを積極的に採り入れたはじめてのマシンです。マシン後部に高くそびえたつ翼状の部品。飛行機の翼を裏返しに取り付けたようなものでした。この異形を見た人々は、そのチャパラル2Eを“怪鳥”と呼び、当初はそのナゾの部品の効果を疑っていました。しかし、それが侮れない速さを見せはじめ、ついに優勝するにおよび、翼の威力を認めたのでした。翼はマシンに下向きの力を与え、コーナリング中でもタイヤをしっかりと地面に密着させて高速コーナリングを可能にしていたのです。



やたら高い位置にウイングがあるのは、ボディ周辺の乱気流からウイングを離し、ウイングの効果を最大限に発揮するためだった。ちなみに、このマシンのアルミホイールは、その後、爆発的に流行するメッシュタイプの元祖なのである。

どうして翼にそんな力があるのか? お待ちかね、実験に入りましょう。
スプーンをそっと持ち、水道の蛇口から流れる水の中へ平行に入れてみてください。スプーンはどう動きましたか? きっと、スプーンの凸になっているほう、すなわち裏側のほうに引っ張られたはず。これがダウンフォースを生む力の元です。水や空気の流れの中に翼断面形状の物体(スプーンの断面もそうですね)を置くと、流れは物体に当たって折り曲げられます。すると意図的に向きを変えられた流れは反力を生み、その力でスプーンが動くのです。じゃあ、これを実地に応用してみましょう。反力が上に働くように翼を配置すれば、翼は浮き上がる。そう、飛行機が飛ぶ原理がこれ。ではそれを逆さまにするとどうでしょう。もうお分かりでしょう。地面に押しつけられる、すなわち、ダウンフォースを発生するレーシングカーのウイングです。チャパラル2Eの翼は、まさにそういう効果を生み出すように装着されていました。




身近にあるものでも空力のしくみは理解できる。ちなみに扇風機と下敷きも使えるグッズ

“チャパラル・マジックは”すぐにF1にも伝播し、'68年には大流行となります。次第に、より高い効果を狙って手の届かないような高さにまでウイング(当時はエアロフォイルと呼んでいました)をそびえ立たせ、効き目をダイレクトにタイヤに伝えるべくサスペンション・アームにウイングを直づけするなどエスカレートしました。特に、乱流に影響されない1m以上もある"ハイウイング"が大流行しましたが、ステーに強烈なストレスがかかるため、走行中にステーが折れて外れるアクシデントが発生。大事故に直結する危険性大とされ、ハイウイングは禁止となってしまいました。

しかし、一度味わってしまったダウンフォースのおいしさは捨てがたい。頭を悩ませたデザイナーたちから一歩抜け出したのが、チーム・ロータスのコリン・チャプマンでした。1970年登場の“タイプ72”でボディ全体をくさび型(ウエッジ・シェイプ)とし、ウイングほどの顕著な効果は得られないものの、マシン全体でダウンフォースを生み出すようにしたのです。そしてチャプマンは1970年代後半になると、“究極のウイング”とも言えるアイデアを編み出します。

彼はマシンの両サイドをウイングの形にし、両サイドにサイドスカートと呼ばれる隔壁をめぐらせました。チャプマンはサイドスカートでウイングを密閉することで、まるで地面に張りついたかのような強力なダウンフォースを可能にしました。もちろんこの年のチャンピオンを獲得しています。



これを実現するために従来サイドにあった燃料はすべてコクピットのうしろへ。
このレイアウトは現在のフォーミュラカーの基本となった。

このアイデアを導入したマシンを『ウイングカー』あるいは『グラウンドエフェクトカー』と呼びます。グラウンドエフェクトとはそもそも航空機用語で、機体が着陸のため地面に接近すると、翼と地面の間にある空気の関係で揚力が増す(翼の効率が上がる)現象のことで、それから転用された言葉です。レーシングカーのウイングは飛行機のそれと逆にとりつけられていますから、地面すれすれのスカート=効率よくダウンフォースを得られる、というわけ。これらのマシンは、なんとマシンの自重以上の、数トンにも及ぶダウンフォースを発生していました。要するに、理論上は天井(サーキットにそんなものがあるかは別として)を走ることができるわけです。このアイデアは、'81〜'82年に最盛期を迎えました。



これがホントのF1“サーカス”?

しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし。恐ろしく高速でのコーナリングが可能になったうえ、効果を最大限に得るためには車高を一定に保つ必要があるためサスペンションはガチガチ。ドライバーの肉体的負担が増大してしまいました。また、サイドスカートが外れると、ダウンフォースは一気にゼロになり、マシンが即座にコントロールを失って大事故が頻発してしまいました。F1では'82年をもって禁止され、以降は、ボディー下面は平らでなければならないという『フラットボトム規制』が導入されたのでした。


第1回第2回第3回第4回 第5回第6回


※この講座は1998年〜2000年まで、本田技研工業のホームページに連載されていたものを再編集したものです。


モータースポーツ塾トップページに戻る


Copyright(C) 2006 Yurataku-ya. All Rights Reserved.