ゆらたくヒストリー


店長のくるまヘン歴
第3話「元祖鬼キャン」
日野コンテッサ1300

京都の林さん(現童夢社長)から日野コンテッサをもらって乗っていたことがある。

ボディは白、ラリーで活躍していたアルピーヌばりに、銀色のワイドスチールホイールにラジアルタイヤをチューブで強引に広げてハメてあった。足回りはトーションバーだから車高を下げるのは簡単。ドリフト兄ちゃんのフロントサスのようにリヤサスは鬼キャン(超ハの字)。なかなかイカす(死語かなァ)車だった。

ブレーキは4輪ドラム。これがまた効きが悪くて、遠くから信号が黄色に変わってもエイヤって突っ切っていく感じ。そうでもしないととても乗れたものじゃなかった。今の自動車のブレーキは格段に進歩したから、こんなこと考えられないけどネ。


操縦性はオーバーステア、というよりリバースステアとでもいったらいいのか、リヤエンジンでテールヘビーなのに加えて極端に車高を落としてるもんだから、サスのストロークを使い切り底突きした瞬間にスカーンと向きが変わってしまう。雨の日に何度スピンして怖い思いをしたことか。

まァ、スピンは慣れでどうにかなるんだけど、もっと怖いのは、極度の鬼キャンのためリヤのハブのナットがゆるみ、ハブごとスプラインから抜けてしまうってこと。こんなことが度々起きるんだけど、リヤフェンダーがスパッツ形状のようにタイヤにかぶさっているから完全に車体から取れてしまうことはなかった。ボディとタイヤがこすれてすさまじい音がしたけどネ。

また、本来はコラムシフトのものをリンケージをつくってフロアシフトにしてあったのだが、何をどう間違えたかシフトパターンが"H"ならぬ漢字の"田"みたいに動くようになってしまっていた。

こんなハチャメチャな車だったけど、スタイリングはシボレーコルベアやヒルマンインプなどで有名な、当時最先端のミケロッティデザインでかっこよかったのだ。
でも、経年変化でビニールレザーのシートはカチカチに硬化してヒビ割れてしまっていた。これがガールフレンドたちのストッキングをデンセンさせることが多くて、彼女たちにはすこぶる評判が悪かったので、ボクはコンテッサを手放してしまった。

なんてネ。ホントはあまりに頻繁にタイヤが取れてさすがに怖くなったからなのでありました。

日野コンテッサ1300(1964〜1967)
1953年から乗用車の生産に乗り出した日野が、64年にコンテッサ900の後継としてデビューさせたのがコンテッサ1300。イタリアのデザイナー・ミケロッティのデザインで、フロントにラジエターグリルのない独特のスタイルが人気だった。翌65年にはパワーアップした2ドアの1300クーペも追加された。67年に生産が中止され、以降日野はトラックの生産に専念することになる。



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