ゆらたくヒストリー


店長のレーシングヒストリー
第23話「甦った紫電」

前回話し忘れたけど、「紫電」のネーミングはもちろん戦闘機からとったもの。旧陸海軍の飛行機の名前はかっこ良かった。「流星」「銀河」「紫電」「雷電」、先尾翼で機体後部にプロペラの付いた「震電」なんて未来的な飛行機でカッコ良かったなぁ。
あ、昭和30年代後半に流行った漫画「紫電改のタカ」(ちばてつや作画)を愛読してたことも影響してるかもね。

実は戦闘機の紫電も、意欲的な試みが色々あった戦闘機だったんだけど結局失敗作で、紫電改でマトモになったんだ。あとで悪い名前選んじゃったかなぁって思ったりもしたよ(笑)。

'78シーズンは紫電改としてカラーリングを変え、完全にセミオープン化。フロントに冷却用の穴を開けるなどの対策がとられたが、思うような結果は残せなかった。((株)三栄書房 オートスポーツ 1978年5月15日号)


月日は流れ。90何年かの年末、ムーンクラフト大御神ガレージの大掃除が行われました。ガレージ裏の300坪の土地は、20年に渡って作ったボディカウルや型でワンサと溢れていたんだ。この状態に業を煮やした社員がボクに「社長、全部処分したいんですけどいいですか?」って言うんだよね。悩んだ挙句、ボクは断腸の思いでOKした。

ほら、自分で手をかけたモノって取っておきたくなるじゃない。ボクもそういう性格だから、ほんとは捨てたくなかったんだけどネ。そういえば同じ性格だったウチの親父が 亡くなったときも、遺品整理で大変な思いをしたんだ。本人にとっては大事なものでも、結局そうなったら捨てるしかないからね。

'78年終盤にはロータリーエンジンを搭載し、カウルも一新した紫電だったが、最後はクラッシュでサーキットから姿を消すことになった。((株)三栄書房 オートスポーツ 1978年12月15日号)

このとき事前に、捨てるぞ〜って公表したら、色んな人が貰いにきた。その一人が旧知の友、マッドハウスの杉山なんだ。ボクが大御神にやってきたときからの知り合いなんだけど「俺に紫電をくれ」って言って型を持って帰ったんだ。

ボクはこの廃棄には立ち会わなかった。ほら、古いもの捨てるときってそうでしょ。片付けながら「あぁ、これはあの時の……」なんて感傷的になって時間ばかりかか るんだよね。だから、何があったなんて知らないほうがいいしね。
でも、後になって一番もったいなかったなぁって思ったのが、77年に星野さんが乗った国産F1、UNI-PEXカラーのコジマKE009のカウル。星野さんの名前も入った正真正銘のホンモノだったんだけど、これも切り刻んで捨てちゃったんだって。なかじーが聞いたら怒られそうな話だね。

社員に「終わりました」言われて、その場所を見に行ったんだけど、正直「こんなに広かったのか」って思ったよ。同時に、ちょっと大袈裟だけど、ボクの中でひとつの時代 が終わったって感じだったよね。

2002年7月。24年ぶりに甦った紫電と記念撮影。手に持っているのはプレミアものの紫電のラジコン。   往年の名ドライバー高原さんも紫電の復活(ほんとはGCの復活)を祝いに駆けつけてくれた。

で、話は戻るけど、紫電の型を持ち帰った杉山が、何を思ったかFJ-1600をベースにコツコツ仕上げて紫電を復活させたのが2002年7月の富士GTのとき。この レースは新しく始まるGC-21レースのお披露目だったんだけど、そのセレモニーのために並べられた往年のGCマシンのなかに紫電の姿もあったんだ。このときはさすがに感動したよ。

オリジナルの紫電は78年10月の富士500マイルレースで燃えて完全に消えてたから、実車が甦ったのは24年ぶり。実に20年の時を経て紫電が復活したっていうわけ。
パドックで物知り顔の古いジャーナリストに「よく出来ているケド少し小さいね!?紫電はもう少し大きかった」と説教されたんだけど、同じ型で作ったんだから違うわけはないのにね(笑)。時の流れはイメージも変えるんだね。


後に「由良は空気が見える」なんて言われるようになったけど、紫電のような失敗の積み重ねがボクを育てたともいえるよね。それがMCSの成功に繋がったともいえるんじゃないかな。
とにかく、紫電はサッドストーリーの多いクルマだけど、思い出深いクルマだよね。失敗作だったけど、かっこ良かったから許された面はあるのかもね。

そうそう、そういえば、換気のためのサイドウィンドウの蝶番(ちょうつがい)は、カレラ6のものを流用していたんだよ。紫電のなかで一番贅沢な部品だったかもしれないなぁ。



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