ゆらたくヒストリー


店長のレーシングヒストリー
第21話「MCSシリーズに大きな影響を与えたGRD S74」

1974年、この年のGC用マシンとして生沢選手が選んだマシンが、イギリスのコンストラクターGRDが造ったS74だった。生沢選手がヨーロッパF3時代の縁で日本に持ち込んだGRDは、生沢選手や風戸選手が、S72、S73と乗り継いでいたんだけど、GRDの名を広く知らしめたのはこのS74だよね。
若者に人気のファッションメーカー「VAN」や、ジーンズメーカーの「Wrangler」がスポンサーについて、ほんとカッコ良かった。GRDといえば当時のヒーローだった生沢選手の代名詞のようなマシンだったからね。でも、生沢選手専用ともいうべきマシンだったから、やっぱり少数なりの苦しさはあったよね。

生沢GRD vs 星野マーチ。GRD S74は美しいマシンだった。((株)三栄書房 オートスポーツ 1974年10月15日号)

GRD S74は、最初から日本でカウルを製作することになっていて、VALがその製作を担当したんだ。このVALというのは会社じゃなくて、GRDのカウルを作るた めに集まった人たちの呼称のようなもの。デザインを担当したのは現東京R&D会長の入交(いりまじり)さんなんだけど、出来上がったカウルは、さすがに美しくてエアロダイナミクスのバランスも良かった。
S74は他のマシンに比べて10cmほどワイドトレッドだったから、前面投影面積が大きく富士のストレートでは不利だったんだけど、このカウルをつけたらストレートスピードが一番になったくらいだった。

ただ、そのままじゃダウンフォースが不足していてリフト気味だったから、レースに使えるようにするために、リップスポイラーやウィングを追加していった。でも、基本的なバランスは良かったから、改造の効果はちゃんと表れて、74年シーズン後半には表彰台にも登るようになっていったんだ。

75年ムーンクラフトを設立したころのボク。ライオンのたてがみのような髪を見よ!ちなみに、ボクが削っているのは前回お話したNOVA532のクレイモデルだ!(写真提供:autotechnic '75年5月号)

ボクは74年は個人的に関わっていたんだけど、75年からは設立間もないムーンクラフトがそのモディファイを引き継ぐことになったんだ。オープンボディだけど、クローズドに近いような形でコックピット周りのスクリーンを工夫したり、空気の流れをスムーズにするためにロールバーを被ったりしていった。そして、結果もちゃんとついてくるようになって、75年シリーズ4位、76年には2連勝もしてシリーズ2位、そして、参戦4年目となる77年には、星野マーチを1点上回って、生沢GRDが念願のシリーズチャン ピオンに輝くことになるんだ。

GRD S74は、ワイドトレッドで流面形の難しいマシンだったけど、それだけに色々勉強にはなった。このときのノウハウが、後に、同じワイドトレッドのマーチ792用のGCカウルを作るときにすごく役立った。「幅広カウルじゃ速いマシンはできない」という周囲の予想を覆して出来たのが、80年以降大活躍をするロイスRM1というカウル。当時の僕には「ストレートスピードで劣っても、最終コーナーの脱出速度を上げればトータルでは優位に立てる」という信念のようなものが、GRDの製作を通してあったからね。このロイスの 話はまたいずれ。

上段は77年ムーンクラフトでモディファイした後のGRD。コックピット後ろのロールバーがカウルで覆われているでしょ。下段は78年。リアカウルとウィングの形状が大きく変わってます。((株)三栄書房 オートスポーツ 1977年5月15日号/1978年5月15日号)

そうそう、生沢選手といえば、雨が速かったんだけど、他の選手と違って異様に細いタイヤを用意したりしてたなぁ。あれ、F3のタイヤだったのかもね。今のようにレインタイヤの性能が良くなかったから、ハイドロプレーニング現象を起こさないように、面圧の高いタイヤを使ってたんだよ。そんな奇抜なこともやったりする独創的な人だったよね。

そんな、独創的……というより人真似が嫌いな生沢選手が持ち込んだGRDというクルマは、ロイス以降ワイド化していくMCS(ムーンクラフトスペシャル)シリーズにも大きな影 響を与えることになっていくんだ。
あ、もうひとつ。この頃、GRDのチーフメカニック兼エンジニアをしていたのが宮坂宏さんで、これをきっかけにその後のなが〜い付き合いが始まることになるんだ。

生沢選手は間違いなく70年代のヒーローだった。(写真提供:autotechnic '77年1月号/2月号)

こう考えると、GRDのボディー製作をお手伝いしたことが、デザイナー由良拓也にかなり大きな影響を与えているなぁ。まさしく、G(グレート)、R(レーシング)、D(ドラマ)だね。って、かなり無理なこじつけでした。ホントは、Group of Racing Development の略だったかな?



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