ゆらたくヒストリー


店長のレーシングヒストリー
第18話「星野+ノバ532Pによる欧州遠征(夢と希望編)」

ノバブランドのF2(F2000)は、最初のノバ02から確実に進化して、512とその改良版の512B、522、そして532、532Pとみんななかなかの傑作だった。と、こうして話してはいるんだけど、この頃のマシン名の細かい由来はよく覚えていないんだ。512と512Bはウィングとスポーツカーノーズの違いだと思ったけど、532Pの「P」はなんだったかなぁ? プロトタイプカー(=試作車)の「P」かな?

ま、それはともかく、76年にデビューしたノバ512は高原選手の手でシリーズチャンピオン、77年も星野選手が512Bを駆って王座に輝きと、続く78年も途中欧州遠征を挟んだものの532Pでチャンピオンとなり、3年連続で国内トップフォーミュラシリーズを席巻した。まさに国内では飛ぶ鳥を落とす勢いだったんだ。

すごく若く見える星野選手だけど、このとき30歳。ボクは26歳だった。((株)三栄書房 オートスポーツ 1978年8月15日号より転載)

でも、78年の欧州遠征ではその勢いは影を潜めてしまうことになる。
国内での好成績に気を良くしたノバの山梨社長は、78年シーズンがはじまってまもなくの6月に、チームはヒーローズ、メンテナンスはノバという国内の体制そのままに、本場ヨ ーロッパへの殴り込みを敢行したんだ。ま、そうは言っても資金が有り余ってたわけじゃないから、最小の人員で最高の成果を上げようと遠征チームは絞りに絞って人選されたんだけどね。

そうして選抜された中には、当然のようにボクの名前があった。そりゃそうだよね。当時のボクはボディカウルのデザイナーというよりは便利屋。メカニック、ファイバー修理、空力エンジニアと一人で何役もこなしてたからね。もちろんボクも海外遠征に行きたくてしょうがなかったから、話がきたときは「あごあしまくら」だったけど、二つ返事でOKしたんだ。

国内では敵なしの組み合わせの星野+ノバ532Pだったんだけど…((株)三栄書房 オートスポーツ 1978年8月15日号より転載)

星野+ノバ532P+松浦BMW+ブリヂストンという、考えられる最高の組み合わせでの挑戦だっただけに、周囲の期待は大きかった。もちろんノバも、ヒーローズも、同行したボクらも、そして星野さんの期待もね。

え?ボクの海外旅行はこの遠征が初めてだろうって? 残念でした。実はボクは自動車レースと同じくらいエアレース(プロペラ飛行機のレースだよ)が大好きで、せっせとお金を貯めて、この遠征の前の年だかにアメリカまで見に行ったことがあったんだ。エッヘン。な〜んて、そうはいっても、英語はほとんど話せなかったなぁ。あ、これは今もあんまり変わってないけどね。



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