ゆらたくヒストリー


店長のレーシングヒストリー
第17話「土間のプレハブ小屋から始まったムーンクラフト」

ノバシリーズを手掛けながらタカハラレーシングのスタッフとして働いていた頃、僕にとって大きな転機が訪れる。自分の会社ムーンクラフトの設立だ。そして、この会社設立に関しては、タカハラレーシングのチーフメカニックを務めていた小倉さん抜きには語れないんだ。小倉さんからはレーシングカーのイロハをはじめ本当に多くのことを学んだ。小倉さんがいなかったら今のムーンクラフトはなかったし、ボクもなかったと思う。人生に恩人というのはそういるもんじゃないけど、小倉さんは間違いなくその一人。

そうそう、ノバの名エンジニアであるガラさんこと五十嵐さんも恩人の一人だね。ボクがイメージで描いたスケッチというか漫画っぽいイラストを次々に形にしてくれた。「タクヤ、これはこーか、こんな感じだぁな」って、ボクのアイデアを具体化してくれた。ガラさんが居なかったら、名作ノバシリーズは生まれなかったからね。

ムーンクラフトの設立は1975年。まだ趣味の域を脱してはいなかったけど、レーシングカーデザインで食っていきたいなぁと漠然と思っていたボクは、何となく成り行きで会社を興すことになった。それまで工場としていた使っていたのは、東京・目黒の柿の木坂の自宅ガレージ。ここで、酒井マクラーレンやノバFJ1300などを生み出したんだけど、ここが手狭になったこともあって、富士スピードウェイ近くの通称レース村に工場を構えることにしたんだ。

ムンクラ創立当時。原っぱに見えるけど、現在のムーンクラフト大御神ガレージと同じ場所。飯場の資材置場と見間違えても仕方ない(?)工場の前で、座ってタバコ吸ってるのが若かりしボク(24歳!)。外の地面と室内の床は共通素材?ってのが事実だって分かるでしょ!中にも草生えてるんだから。工場内にあるのは川口さんのムーンクラフト・マーチ。

この会社を興すのを勧めてくれて、資金まで貸してくれたのが小倉さんだった。当時としては大金だった50万円をポンと貸してくれた。太っ腹だったなぁ。ほんと嬉しかったのを覚えてる。

会社の名前はご存知「ムーンクラフト」。日々形を変え見ていて飽きることがない月、ウサギが棲むといわれるロマンチックな月、点でしか見えない星じゃなく見る人の想像力をかきたてる月。そんな神秘的な「月」と、モノづくりの精神を表す「クラフト」という言葉を組み合わせた。

工場は、小倉さんに借りたお金で今の大御神(おおみか)ガレージの場所に土地を借り、30坪弱のプレハブ小屋を建てた。このプレハブ、実は工事現場で使っていた中古品。それでも25万円もしたんだよ。屋根と壁はあるんだけど、床はなくて中は土間のまま。まぁ、なんとか雨露はしのげる程度のものだよね。雨が降ると小屋の中は水が流れたりしちゃうんだ。でも、自分の城を持てたという喜びは大きかった。若さもあって仕事に対する情熱にも溢れていたし、「やるぞ〜」って感じだった。

土間にH鋼を横たえてレベリングをして、その上に合板を渡して定盤の代わりをさせたり、色々工夫してたよ。見栄えは悪かったけど、アイデアはふんだんにあったからね。ノバシリーズ、高原マーチ、コジマKE007、紫電……。様々なマシンがここから生まれたんだよ。自分で言うのもなんだけど、まさに「土間のプレハブ小屋の天才」だったなぁ。

左下に見える青い屋根は旧NOVAの工場。解良ガレージ(その後アストニッシュになる)もまだ存在しない。BMW2000CSは親父のクルマ、僕はクラウンバンのケツ上げHOTROD仕様に恥ずかしくもなく乗っていた。当時はHOTRODなんて興味のある人いなかったからカナリ目立っていた!! しかし、改めてこの写真を見ると、ここに来て仕事をキャンセルした人の気持ちも分かるなぁ……。

でも、見栄えというのは結構大事で、せっかく舞い込んだストリート用のスポーツカー開発の話が流れちゃったこともあった。これ販売を目的にしたかなりマジな話で、スケッチまで仕上がって、エンジンは何を使おうかなんて盛り上がっていたんだけど、クライアントがプレハブ小屋を見た途端に「これじゃムリだ」ってことになってオシマイ。見てくれだけで判断されたのは悲しかったなぁ。まぁ、仕方ない面もあるんだけどね。でも、これで発奮して、きちんと認められる仕事をしようという気持ちはさらに強くなった。

あ、小倉さんに借りた50万円は1年でちゃんと完済したんだよ。今もそのくらいなら返せるんだけどなぁ。最近は借金のケタが多すぎて……う、暗くなるから考えるのやめようっと。



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