ゆらたくヒストリー


店長のレーシングヒストリー
第9話「ダンディな高原選手とカネボウダンディマークIII」


グラチャンに手を染めはじめた73年頃は、グラチャンと双璧をなすレースとして、F2000というフォーミュラカーのレースがあったんだ。そう、今のGTとフォーミュラ・ニッポンのようなものだよね。昔からスポーツカーレースとフォーミュラカーレースは仲良く成り立っていたんだ。

ただ、今と違うのは、当時はスポーツカーを造っているメーカーというか、コンストラクターがフォーミュラも造っていて、マシンバリエーションも、マーチ、ブラバム、サ ーティースなどがあった。だから、乗る側も色々選ぶことができたんだ。


 
73年の日本グランプリ。ボクの手がけた「カネボウダンディマークIII」はヘアピンでクラッシュしてしまった。でも、特徴的なリアの形状がよ〜くわかるでしょ?((株)三栄書房 オートスポーツ 1973年6月15日号より転載)

選ぶといえば、当時のトップドライバーは超人気者だったから、ちょっと大袈裟だけど相手も選び放題。芸能人と浮名を流すドライバーもたくさんいた。後に松尾ジーナさんという売れっ子モデルと結婚することになる高原敬武選手もその一人。チャレンジ精神旺盛な高原選手は、きっと女性に対しても貪欲だったんだろうなァ。あ〜羨ましい。

おっと、話がそれたけど、日本を代表するドライバーとして一時代を築いた高原選手が、この年選んだのがブラバムBT36というマシン。スポンサーが男性化粧品だったから「カネボウダンディマークIII」という車名だった。
当時はグラチャンでも最高速を伸ばすためにロングテールにしたり様々なトライがされていたんだけど、フォーミュラも同じようにウィングカーノーズから空力的に有利なスポーツカーノーズに移行しつつある時期だった。


 
ブルーメタリックのボディーのスポーツカーノーズが精悍でしょ!ロールバーの内側がオイルクーラーになっているんだけど良く冷えたのでヘッドレストの部分をアルミ板で成型して、更に効率を上げてある。ちなみに車番14は今のムンクラと同じだ。   ウインドスクリーンにバックミラーを一体的にデザイン。カッコイイでしょ!この写真はテスト時のものでロールバー前は成型していない。

高原選手のブラバムBT36もアップデートキットでスポーツカーノーズに出来るようになっていたんだけど、既製品に納得できない高原選手は、ボクに本 格的なスポーツカーノーズを製作するように依頼をしたんだ。

ボクは、さて、どうしようと悩んだ末に、その頃先進的なエアロダイナミクス技術を取り入れていたアルピーヌというF3マシンに着目。それを参考にオリジナルスペシャルパーツを作った。スポーツカーノーズはもちろん、流線型のミラーカバーやリアカウルなどもね。


リアのロングテールは付いていないが、最終的にはロングテールでレースに出場(クラッシュ写真参照)。それにしてもボクってナンテカワイイんだろう!こんな少年がボディーを作っていたんだからビックリでしょ?


もちろん、効果は絶大。デビュー戦は富士のヘアピンでクラッシュしちゃったけど、その後は飛ぶ鳥を落とす勢い……とまではいかなかったけど、優勝もしてシリーズ3位になった。

すでにどっぷりレースにつかっていたボクは、このとき22歳。夢あふれ希望に満ちていた時代だった。あ、今でも夢も希望もありますよ……でも、ちょっと色褪せてきちゃっ たかなァ。



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