ゆらたくヒストリー


店長のレーシングヒストリー
第5話「旧き良きバックヤードビルダーの時代」

さて、今回も前回に引き続いて'70年頃の話をしましょう。

20歳を過ぎた頃のボクは独立して、FJ500といった軽自動車をベースにしたフォーミュラジュニアで活躍するマシーンを一生懸命作っていたわけです。

このスポーツカーはFJのエンジンを搭載したRQC(レーシング・クォータリー・クラブ/現在のNOVAの前身)のNOVAというマシン。コストを抑えるため左右のフェンダーが同じ形状で、それを結ぶセンターカウルは平らなFRP板をしならせて接着したワンオフモデル。少ない予算でも何とかマシンを製作していた僕の力作なんだよ!



でも、空いた時間があれば上のクラスで活躍している、林さんをはじめとした先輩たちのお手伝いも続けていたんだよ。中でも、矢吹圭造さん(元ダイハツのワークスドライバーで、その後鈴鹿サーキットの競技長として活躍、僕は今でもお世話になってます)のお手伝いをよくしていたなぁ。当時富士スピードウェイで開かれた『JAFグランプリ』というフォーミュラカーのレースがあって、1100tのカローラエンジンを積んだフォーミュラカー、ブラバム・カローラで出場する矢吹さんを手伝った記憶があります。

だけど、手伝うだけじゃなく純粋にレースを見るのがおもしろくてサーキットへ行くのが本当に楽しかった。あの頃の鈴鹿サーキットって、ピットはあれどピットロードがなくて、目の前をフォーミュラカーがびゅんびゅん駆け抜けていったんだよ。考えてみると危ないんだけど、すごく迫力があったなァ。


本田さんが製作し矢吹さんが駆ったカムイ。70年鈴鹿300km。
((株)三栄書房 オートスポーツ 1970年3月号より転載)

現在の無限の社長、本田博俊さんが製作したカムイというホンダS800ベースのエンジンを搭載したスポーツカーがレースに出るのを手伝ったのも、忘れられない思い出のひとつ。本田さんは、ボクの父親が日大芸術学部の教授をしているときの教え子だったという縁もあり、また僕の師匠の林さんの親友でもあることから昔から親しくさせてもらっていたんだ。

この、本田さんのカムイが出場した『全日本鈴鹿300kmレース大会』は、ポルシェ908や908スパイダー、いすゞべレットR6とか往年の名レーシングカーが出場したことでも有名。確かドライバーの田中健二郎さんがフォードGT40で出場してね。GT40が出たレースなんて後にも先にもこれだけだったから、若かりしボクは「すげーっ!!」ってな感じで、大興奮してたっけ。


カムイの参戦したレース(記憶曖昧で特定できない……)での秘蔵スナップ。解説画像もつけておいたから、レース界の重鎮たちの若かりし頃をご堪能ください。

今では考えられないけれど、この頃の日本のレースはバックヤードビルダー、いわゆる裏庭でクルマを作っているような素人集団が作ったマシーンが、名車と肩を並べて走っていたりしたんだ。それこそブリキ板を釘で打ちつけたようなクルマから、FRPで作ったクルマまで一緒に走っていたというわけ。ボクはこんな面白い時代に一生懸命クルマを造ったり一生懸命クルマを見たりして、たくさんのことを吸収したのでした。



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