ゆらたくヒストリー


店長のレーシングヒストリー
第4話 「青春のシンボルだったFL500」

さて今回も、記憶を整理しているうちに思い出した70年代のエピソードを、忘れないうちに話しちゃおう。

パシフィックF2000を機に、「由良さんに任せれば、カッコいいクルマができる!」なーんて評判も高まり、レース界のボディビルダーとしての仕事が順調に入ってくるようになった。PF2000はレースを走ることはなかったけれど、僕の夢を乗せて走り出したんだネ。ちょうど時代は1970年代に入り、日本でもモータースポーツが盛んになっていった頃で、ボクは当時大人気だったFL500のボディ製作を手がけることになったんだ。


最初のラフスケッチ。リアのインダクションボックスが特徴的。

FL500とは、軽自動車の360tのエンジンをボアアップしミッドシップにマウントしたフォーミュラカー。当時を知らない世代から見ると、軽自動車のエンジンのレースなんて笑われそうだけど、当時のFL500といえば現在のフォーミュラ・ニッポンにも引けを取らないほどの人気があるレースだったんだヨ。参加台数もめちゃめちゃ多く、レーシングカービルダーだけでも十数社もあるんだから、まさにこの世はレース戦国時代。拙者も鎧兜で参戦つかまつりますぅ〜!?

ボクが主にボディワークを担当したのは、レーシングクォータリーという人気のコンストラクター。その代表作が「アウグスタMKIII(Augusta MKIII))」というマシン。そのとき、メカニック兼チーフエンジニアを担当していたのは、現在のトミーカイラの解良喜久雄さんだったんだから、実にゴージャスな顔ぶれでしょ。


フェルトペンで描いた"アウグスタMKIII"。当時のEssoカラーはこんな色だった。

関東勢でレーシングクォータリーのほかに有名どころといえば、スズキ板金の「ベルコ」。パイプ製スペースフレームを採用するのが全盛の時代にあって、鉄板+アルミ製のものコック構造を採用していたのが印象に残っているナ。関西勢は、ボクの師匠、林みのるさんのいとこが経営する林カーショップが超有名。 量産されているプロダクションレーシングカーばかりでなく、個人で製作してエントリーするところもあり、なかでもオトキチスペシャルというワンオフマシンは連戦連勝!!それは、当時のホンダF1と似たコンペティショナルなつくりの良くできたマシンだった。足回りのジオメトリーなんて何をどうしたら良いかなど誰もよく分かっていなかったから、まるでゴーカート的なカチカチのセッティング!

1970年の第6回東京レーシングカーショーに出品された"アウグスタMKIII"
((株)三栄書房 オートスポーツ 1970年4月15日号より転載)

当時のボクはまだまだ若くて分からないことばかりだったから、毎日が勉強だったし、実際の作業を通して多くのことを学んだな。経験不足から思いもよらないようなことを真剣にやってみたり、今となっては笑いとばしてしまうような話もいっぱい!!

ホント、今思えば、レース戦国時代はボクにとっては楽しい青春時代。ずーっとお付き合いを続けている先輩や友人の多くも、このFL500を通じて知り合った。当時のボクらにとってFL500はF1マシンとも思えるほどの存在だったし、今思えばかけがえのない懐かしい青春のシンボルだったのかもしれないなぁ……しみじみ。




ゆらたくヒストリートップページに戻る


Copyright(C) 2006 Yurataku-ya. All Rights Reserved.