ゆらたくヒストリー


店長のレーシングヒストリー
第2話 「由良拓也の基礎を作った京都丁稚時代」

うーん、懐かしい!! 前回はそんな言葉で締めくくったケド、ほんと最近なにかと“懐かしモード”に入っちゃうんだよ。8月の終わり、鈴鹿1000qレースでテレビ解説の仕事をしたときなんか、1971年当時のレースの写真がでてきたんだけど、クルマのことからエピソードまで全部説明できるんだ!これには自分でもビックリ!その頃のボクは二十歳だから、ちょうど丁稚(でっち)をやってたんだっけ。ボクも気が付けばこの道の長老だからなァ。よっこいしょっと。

さて、18歳のとき、京都に林みのるさんを追っかけていったボクは丁稚になったわけだけど、イマドキそんな職は聞かないよネ。丁稚っていうのは、自分がやりたいと思う仕事のお手伝いをして、技術を習得する小僧なのだ。勉強させてもらうわけだからお給料はもらえないけど、寝るところと食べるものには不自由しないようにしてもらえるんだ。


京都丁稚時代に描いたスケッチ。林邸の屋根裏部屋で寝る間も惜しんで描きまくった。

林さんの実家は京都御所の前にあって、ボクの部屋はそこの屋根裏というか、今風にいえばロフトのような不思議なスペースで、暇があればそこでレーシングカーのデザイン画を描いていたんだよ。林さんにしてみればボクは便利な小僧だから、「あれやっとけ」だの「これ考えとけ」だのいいように使われてたんだけど、それがとても勉強になったし、すべてが刺激的で楽しかった!!! 林さんもボクにいろいろ考えさせて楽しんでいたのかなァ!? ほかにも、大阪のコンストラクターを訪ねたり、鈴鹿のレーシングサービスクラブRACにホンダのグランプリバイクやR1300というレーシングカーを見に行ったり、技術習得だけじゃなく、ホントいろんな経験をさせてもらって感謝している。

これは通勤&買物用のクルマ「シティコミューター」。30年前に描いたモノとは思えないでしょ?

そんな若かりし頃の林さんはといえば、いつも出歩いてて家にいることは少なく、知らないうちに戻ってきてはまた出掛けてるって感じ。今にして思えば、スポンサーを探して駆け回っていたんだろう。でも、夜は夜で、女の子から電話があればまた出かけてたし、まったくタフな人だったナ。林さんとボクは年の差は5歳くらいだけど、当時はなんでも知っている林さんがとても大人に見えたよ。

丁稚時代にはたくさんデザイン画も描いたけど、今考えてみると採用されたことは一度もなかった。林さんだって自分のデザインしたクルマを作りたいわけだし、そう易々と丁稚小僧にスポットは当たらないのだ。第一、当時のボクは好きなことをしたかっただけで、レーシングカーデザイナーになるなんて考えてもいなかったしネ。

これぞお宝度一級!童夢・林みのるさんの直筆スケッチ。当時はボクのデザインもそうだけど、林さんお得意のクサビ型の流れの中にあった。

結局のところ、スポンサーは集まらなかったようで、クルマを作る目処が立たず、丁稚するにも仕事がないから「とりあえず国さ帰るべ」みたいなノリで東京に戻った由良クンであった。そして、丁稚時代に蓄えたノウハウが活かされるのは、もうちょっと後の話になるのである。

なにしろ30年も前の話だから、ボクの頭の中でいろんなできごとがミックスされちゃって、思い出すのも一苦労。確か、丁稚だったボクが一人立ちしてレーシングカーを作ったのは……あのクルマだったよなァ!? というわけで、続きは次回。




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